ローレルで能登半島一周

私が横浜市緑区恩田に住んでいた頃、このローレルハードトップ2000SGXに乗って遠くは北海道、近場では伊豆半島、箱根、三浦半島、信州、奥多摩などのドライブ旅行を楽しんだ。
それらの中で今でも強烈に覚えているのは強行軍の能登半島一周旅行である。妻の書いたドライブ行程図を見ると、1984年4月27日午後8時5分に横浜市緑区恩田の自宅を出発し、中央高速道路で諏訪まで行き、ここから一般道の夜道を糸魚川まで走っている。途中、大町-糸魚川で難所・雪有りと書かれている。

夜中に走るなんて当時、当たり前のようにやっていたが、やはり若かったのだ。スタミナが今とは全然違う。10歳毎に区切って、パワーやスタミナを比較してみると、その違いがはっきりと認識できる。糸魚川には2時5分に着き、3時間ほど車の中で仮眠した事になっているが、その場所は覚えていない。そして朝の5時に能登半島に向けて出発している。

このあと和倉温泉・恋路海岸・狼煙そして念願のヤセの断崖、桜が綺麗だった気多神社と走り、宿泊先である国民宿舎「新宮荘」に午後6時半に到着。やれやれである。ようやく、ゆっくり出来る。請求明細書によると宿泊料(二食付き)二人で9,200円、イカ刺し800円、エビフライ 700円、ビール2本で900円、入湯税300円、合計11,900円となっている。この時の味は全く覚えていないが、旅の情緒と安心感でビールが旨かったに違いない。

なぜ能登半島かと言えば夫婦二人とも松本清張ファンだったからである。松本清張と言えば先ず「ゼロの焦点」が頭に浮かぶ。そのたびに、いつか能登半島に行ってみたいと思っていた。それがようやく実現したのである。
最初のドラマでヒロイン役を演じたのは今は亡き河内桃子。これはナショナルの14吋白黒テレビを買って間もない平取町振内の教員住宅で見た。最初の映画化のときのヒロイン役は確か久我美子。ラストシーンで犯人が自ら死を選んで舟を漕ぎ出す能登金剛はこのあと観光地となった。

この能登金剛の中に高さ約40mの「ヤセの断崖」がある。ここに妻を立たせ、レポーター風に情景を無線マイクで送信。それを遠くで8ミリサウンドムービーに記録して遊んだ。オーディオ技術者だった私はこん事が好きだったのである。その時のムービーを一度CD化したのであるが、窓際に置いたため、太陽熱にやられてしまった。これが今となっては本当に惜しまれる。

そう言えば最近、再放送の「火曜サスペンス」でも見た。このとき、室田佐知子役はあのピンクレディーの増田恵子だった。思えば1977年のNHK紅白歌合戦は翌年ロンドンの劇場で見たのだった。その時、ピンクレディーは「ウォンテッド」を歌っていた。
ウィキペディアによると
「ウォンテッド(指名手配)」(しめいてはい)は、1977年9月5日にリリースされた、日本のアイドルグループ・ピンク・レディーの5枚目のシングル。通常は単に「ウォンテッド」と呼ばれる。売り上げ枚数は約120万枚(オリコン)、165万枚(ビクター)。。
と書いてある。ミリオンセラーなんだぁ。ロンドンの日本人観客達はピンクレディの歌い振りに苦笑していたが、wantedと言う発音のせいかしら。

小説の中で使われた「パンパン」と言う言葉はもう死語、「揚げパンの一種で粥に浸けて食べる。」はどこかのページに載っていた。実際の意味はこれとまるで違う。
食べ物と言えば、現地で越前ガニを食べようと思って行ったのだが、結局名物は何も食べずに帰って来た。これはそのあと妻に何回も言われた。
「結局、何も美味しいものを食べなかった。」と。あのとき、越前カニを食べれば多分美味しいと思ったことだろう。人生のその時代時代、思いの残さない形で終わらせたいものだ。今だったら越前カニは特に食べたいとは思わない。カニは確かに旨い。でもここ北海道で最高級のカニを食べたので、もう特に食指は動かない。人それぞれの味覚は日々変化しているのである。

少し話が脱線してしまったが、次の日は先ず桜の舞う金沢城や兼六園を見学、そして東尋坊まで行き、その後は越前海岸有料道路で越前岬に。ここに辿り着いたときは午後4時。ここではイカの丸焼きがいい臭いを出して誘っていた。これもパス、ここが今回の最終地点、あとは帰るだけ。武生インターで北陸自動車道に入り、名神高速道路、東名高速道路を直走り、川崎インターを降りたのが午前12時30分、そして自宅に着いたのが午前12時45分。家で待っていた猫のミーが出迎えてくれた。全走行距離1,465km、随分走ったものである。ローレルSGXも良くもってくれた。こんな無茶をしたのはこのときが一番。やはり若かったのだ。今年で丁度30年前の話である。

※ゼロの焦点予告編(久我美子, 高千穂ひづる, 有馬稲子,YouTubeより)

 

※2014年12月8日公開