田原小学校跡地の今は

いざ田原へ、発案から出発まで

生まれ育った日高へはここ20年間で、15回は行っているが、その大半は静内への墓参りである。そのとき、田原が何かと気になって、時間が許せば田原方面へ車を走らせた事もあった。それは今からおよそ60年前、小学1年生から2年間、田原小学校に通ったからである。
田原小学校の跡地に静内桜風園が建てられている事はネットで知っていた。それ以上の情報はない。ならば自分で調べようと思いチャンスをうかがっていた。いつがいいか。いま車のない私の頼りはバス。
だが今や地方の路線バスなんて、てんで当てにならない。唯一、可能性があるのは桜まつりの期間だけ走る臨時バスの利用。連休の期間中は多分大混雑となるであろうから、5月7日を予定していた。ネットで見ると今年の桜はもう終わり。これは構わない。

これを日帰りでやろうと思ったら、どうしてもタクシーの利用は避けられない。例えば静内駅からエントランス広場までをタクシーに乗る。あとは田原小学校跡地に建っている静内桜風園、そして桜丘小学校を経由して、桜まつり会場まで歩くというコースを考えた。

Google Mapで計測すると10kmはある。歩けるか。最近では小樽に行った時で約1万歩。今度はこれをはるかに超える。天候はどうだ。当日の天気予報では快晴で20度以下。いい条件である。涼しければ体力の消耗も少なくて済む。あとはその日の調子。

こんな風に考えて、当日を待った。ペガサス号は帰りの予約が必要なので、前日、道南バスの静内営業所に電話して予約を入れた。乗らない時は電話連絡だけで済む。自由な時間がたっぷりある今は予約なしの旅行が良いと思っている。自分なりには準備万端で朝が来た。調子はいい。よく眠った感じがする。これなら大丈夫だ。
※上の写真は1979年に友人のコロナで東京から北海道旅行をした時のもの。

浦川行ゆきペガサス号

と言うわけで、札幌駅バスターミナル8:10発ペガサス号でいざ、静内へ。途中、大谷地バスターミナルで数名が乗車。運転手と会社とのやり取りで、このバスの乗車人数は20名と分かった。
バスの中ではFM80.4MHzを聴いた。ここではカバー曲や略語ミュージアムなどを放送していたので、クリアに聞こえるうちはこの局にした。その中で略語が面白かった。今の若い人は3文字を使うという。
例えば、セイコマートはセコマ。ちょっと年代が上がるとセイコマだそうだ。これは4文字だが、ミニトマトはミニトマ。PKは何?サッカーのPK戦しか頭に浮かばない。これじゃ、ありきたりだ。答えは「パンツ食い込む」。どんな時に使うんだろう。そこまでは言わなかった。

前回のペガサス号に乗ったとき、撮れなかったバス停をと思い、バス停に近づくとデジカメのスイッチを入れて待機したが、今日は乗降客が少なくほとんどが通過。結局停車したのは富川大町の4名と新冠の3名が降りた時だけ。そんなわけで、静内駅には定刻より5分早く到着した。ここで3名が降りたので、計算上、残りは10名。この先、浦川まで行くのかしらと思いつつ、タクシーを探した。

静内のタクシーでハプニング

タクシー乗り場には1台が待機していた。乗り込んで、行き先を「さくら祭りのエントランス広場」と告げた。ここには桜舞馬公園(オーマイホースパーク)や観光案内所・さわやかトイレなどがある。
その車は静内駅から少し走った所で右折した。ちょっと走るイメージと違うが、抜け道かなと思って、黙っていたが、その内、橋を渡って、海岸線に出た。
これは変だと思い、「どこにいくのか」と尋ねた。運転手は真歌公園だと言う。何を勘違いしたのだろう。「えっ、田原の方ですか」と来た。確かに真歌公園も桜では有名。
実は小学2年生の時、近所の人達とここに来て、失敗をやらかしている。持って来た餡餅を尻でぺちゃんこにしたのである。でも、それを整形して皆で食べた。だから、真歌の花見は今もなお忘れられない。まぁ、そんな訳でUターン。肝心の運賃メーターは大門を過ぎた辺りで切ったから、大体想定以内に収まった。

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